2011年10月7日金曜日

新ナゴヤ島 9.25~10.7


BゾーンのN-markブース「新ナゴヤ島」では、定期的に新しいアーティストを紹介していますが、
第3弾はクロノズ、カトウトクハルさんの二組。
クロノズはクロノヤスコをオリジナルとして独自の進化を繰り返すクローン集団、
水色のワンピースと黒縁眼鏡で次々とクローンを誕生させます。
続いてカトウトクハルさんは、フェチズムとアートの間の彷徨いを表現する活動をしているそうで今回はミカンの皮をつるつるになるまで剥くワークショップを行いました。
次々と変化をする新ナゴヤ島を是非覗いてみてください。







2011年10月5日水曜日

Under35 淺井裕介 Pubトーク



水曜の夜はスーパースクールPubトーク。
今回のゲストはHHギャラリーで個展開催中、新・港村の出品作家でもある淺井裕介さん。
泥絵、マスキングプラント、ドローイングや、植物になった白線など、作品の源や最近の取り組みについて1時間半たっぷりとお話いただきました。トークの後は一緒に作品を見ながら、今回の個展の核をなす熊本県立美術館での作品、「新・港村」の動物園昆虫館を構成する、新港ピア周辺で採取した土で制作した<泥絵・昆虫森>など、ぐるっと全体を説明。HHギャラリーの出入口付近にたたずむ「文字の木」。前回のHHギャラリーでの展示につかわれていたあるものを再構成した作品だとか。細部まで見逃せない淺井さんワールドに一同、没頭。

次回Pubトークは大西麻貴+百田有希の建築ユニット。展覧会会期はあと一週間をきりましたので、ぜひお早めにおこしください。





2011年10月3日月曜日

スーパースクール「新・港村の美術」8回目



19:30からAゾーンのスクール校舎では「新・港村の美術」の第8回目が開催された。
講師は、一人目は、韓国釜山のアートイニシアティブtotatogaの新しいディレクター、
映画監督でもあるキム・ヒチンさん。
先日の日韓交流のシンポジウムのパネラー、チャさん(釜山文化財団)との関係で来日された。
二人目は、Dゾーンの倭館で絵画を展示中の藤井雷さん。昨年、ソウルアートファンデーションのレジデンススペース「クムチョン」との交流プログラムで滞在制作を行なった。
展示中の絵画はその際に制作したものの一部。
三人目は、Cゾーンで「ぞうきんぞう」を展示中の磯崎道佳さん。
今回は、新・港村に滞在しながら、ぞうきんぞうのリペアプロジェクトと「マキオ」のプロジェクトを行なっている。
最後は場所を変えて、Aゾーン広場に移動し、磯崎さんのパラシュートパフォーマンス「マキオ」で。
大いに盛りあがった。







2011年10月2日日曜日

被災地の漢たち5


アーキエイド主催の「被災地の漢(おとこ)たち」のトークシリーズ。

今回のゲストは紅一点、根浜海岸宝来館女将の岩崎昭子氏。「希望を現実に」というサブタイトル通り、地震発生直後から、自らの旅館を避難所として地域住民に解放しながら、
旅館のある地区をグリーンツーリズムの拠点として再生しようと復興に奮闘しているパワフルな女将。最初は誰も相手にしてくれず、なぜ自分が言っていることが伝わらないのか、というときもあったけど、いつか必ず伝わると、初志を貫徹するその姿は、東北の女性の芯の強さを実感しました。たくさんの辛い思いも抱えて生きて、それでもなお、強く生きていこうとしている女将の声は、支援すべき聴衆側が、逆に勇気づけられる程でした。会場では涙する人も。





日韓交流の新しい可能性 ~朝鮮通信使を起点に~


BankARTが昨年より本格的に取り組んでいる長期プロジェクト「続・朝鮮通信使」。その関係で巡り会った方々をお招きし「日韓交流の新しい可能性
~朝鮮通信使を起点に~」という2日間に渡るプログラムを開催しました。10月1日の初日は、倭館や日韓の文化、瀬戸内のネットワークや朝鮮通信使等のいくつかのテーマに分かれて分科会をおこない、その後、懇親会が行われました。
10月2日の2日目は、お忙しい対馬市長のスケジュールもあり、当初予定の開始時間を繰り上げ、11:30からの開始。にもかかわらず、たくさんの方々にご拝聴いただきました。
釜山文化財団のチャ・ジェグン氏からは、これからの新しい日韓の交流に向けての展望を伺うことができました。財部能成対馬市長からは、まさに日韓交流の最前線で、様々な困難を乗り越えながら奮闘されている生の声を聞くことができました。そして朝鮮通信使研究の第一人者仲尾宏氏からは、研究者らしい冷静な視線で、通信使の続けてきた誠心外交の延長線上としての、これからの新しい日韓交流の可能性についての示唆をいただきました。倭館研究者で在日コリアン3世の建築家、夫学柱氏からは、日韓文化交流のあたらしい時代と視線の予兆を感じさせられました
なぜ、今、「朝鮮通信使」なのか。この投げかけから始まり、「朝鮮通信使」を読み解くことで、今私たちがやるべきことを再認識させられた非常に有意義な2日間でした。